ロシア大好きなロシア旅行者のブログ

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調べもので得た情報が、誰かの役に立てばうれしいな。

【ロシアの軍艦島】サンクトペテルブルク郊外・シュリッセリブルクのオレシェク要塞でピクニックしてみた・後編【要塞島のち牢獄島】

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

2019年7月、サンクトペテルブルク市内からバスで40分+船で10分くらいの場所にある、シュリッセリブルクのオレシェク要塞という離島に行ったのでレポートします。

オレシェク要塞の概要・サンクトペテルブルク市内からシュリッセリブルク桟橋までの行き方は、前編をご参照ください。

 

シュリッセリブルク桟橋からボートで10分弱、オレシェク要塞が近づいてきました。このアドベンチャーよ…。おとぎ話に出てくるお城みたいな塔がかわいい。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

島の陸地に建っている白黒ボックスがチケット売り場。ここで入場料として大人1人250ルーブルを支払います。パンフレットとか公式ガイドブックも売ってる!

ツアーガイドもあるのでしょうが、自由に散歩したかったので申し込みませんでした。どうせロシア語も英語も分かんないし。

 

ちなみに島内のマップはこんな感じ。5つの塔とその城壁に取り囲まれた、20分くらいでぐるりと一周歩けるような小さな島です。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク


チケット売り場を通りすぎると、城門のあるゴスダレバ塔から入場するんだけど、塔の屋根のてっぺんに鍵の形をした飾りがついています。かわいい。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

この鍵の飾りは、先ほどの船着き場に銅像として建っていたピョートル1世が、90年続いたスウェーデンの占領から1702年にオレシェク要塞を奪還した際、「北部戦争勝利への始まり、バルト海へのさらなる進出のカギ」としてこの要塞を「シュリッセリブルク(鍵の都市)」と名付け、記念に作らせたものだそう。

(第二次世界大戦時に塔ごと破壊されたため、現存のものは1980年代に再建)

 

ほかにも「敵とともにあった90年」(90年間の占領を終わらせてやったぜ!の意)と刻印された領土奪還記念メダルを発行したり、10月になると毎年要塞までお祝いに来たりと、このオレシェク要塞が、国土防衛においていかに戦略的重要地点だったかが分かります。領土への執着心でロシア人に勝てる気がしない。

 

この「鍵」にあやかったのかはわからないけど、そういえばバス停から船着き場へ歩いて行く途中、橋の欄干にカップルの名前を書いた愛の南京錠がたくさん取り付けられていたなあ。ロマンチック。

ユーリとナターシャの文字。お幸せに!私も推しの名前書いた鍵をつけてみようかな。うん、やめとこう。

 

トンネルを抜けると、廃墟であった

壁内に入ると、中庭中央に1828年に建設されたヨハネ聖堂跡が見えます。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

第二次世界大戦時、ネヴァ川を挟んでシュリッセリブルク市街地側はドイツ軍に占領されたものの、このオレシェク要塞はソビエト軍が守り抜き、ドイツ軍の上陸を許しませんでした。その功績をたたえた記念碑も建っています。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

3人の兵士の銅像は、以前は聖堂内部の黒い円の真下に配置されていましたが、2019年7月に私が訪れた時には上記写真の位置に移動され、聖堂内部には入れないよう柵がおいてありました。

 

これはおそらく、戦後当時から手つかずのまま残っている廃墟の老朽化が進み、瓦礫が頭上から落ちてきたのだと思います。今後建物の修復が進むと、当時のままの姿を見ることも難しくなるのかもしれません。

 

記念碑の一部は、爆撃時に破壊された建物の鉄くず部分を使用しているそう。このドアの砲弾跡もドイツ軍との戦闘時に受けたもの。ヒエッ。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

軍用銃も置いてあります。これ本物なんだろうか…?どんなスペックなんだろう。教えて、ミリタリーマニアの方!

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

ヨハネ聖堂の真裏には、1352年・古代ロシア時代に建設された当時の、要塞壁の遺跡を見ることができます。少し下がったところにあり、トタンでおおわれています。

出典:https://anashina.com/krepost-oreshek-shlisselburg/

1352年創建当時の、オレシェク要塞壁の遺跡。

 

秘密の囚人たちを閉じ込めた「秘密の家」

中庭の北端に、四方を壁に囲われた一角があり、旧刑務所「秘密の家」が建っています。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

旧刑務所「秘密の家」外観。平屋一戸建て10DB(独房)。

旧刑務所「秘密の家」はオレシェク要塞島内で一番最初に建てられた刑務所。帝政ロシア農奴解放を要求する「デカブリスト」たちの収容施設として1798年に建設され、政治犯(=秘密の囚人たち)の刑務所であることから「秘密の家」と呼ばれていました。

 

写真右手、壁際に大きな木が植えてある場所で、1887年、アレクサンドル・ウリヤノフ(レーニンのお兄ちゃん)当時21歳で絞首刑となりました。レーニンのお兄ちゃんは、革命組織「人民の意志」に所属し、ロシア皇帝アレクサンドル3世の暗殺未遂事件を起こした人物。ゴールデンカムイ』に登場するソフィアやキロちゃん達が暗殺したのはアレクサンドル2世なので、彼らの後輩ですね。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%8E%E3%83%95

アレクサンドル・イリイチ・ウリヤノフ氏の写真。

アレクサンドル・レーニンやないんかい!と思ったらレーニンペンネームなのね。レーニンも、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフだって。

 

建物は博物館となっており、独房の内部も見学できます。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

デカブリストたちが収容されていた古い独房。お茶とかタバコとか筆記用具とかも使ってOKだったらしいです。さすが元貴族。最初に投獄された囚人の中には、ピョートル1世の前妻もいました。元夫の死後、後妻の策略で投獄されたらしい。怖すぎ。

 

社会主義革命運動が盛んになり島内に刑務所棟が増えた後は、秘密の家は懲罰棟として使用されるようになりました。下記の写真は懲罰房の一室。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

壁に埋め込まれた机やイスなど、デカブリストたちが過ごした古い独房と比べてかなり質素。こんな部屋でステイホームなんて気が狂いそう。でも意外と窓が大きくて日当たりよし。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

刑務所の建物はロシア革命時に破壊されたので、現存の施設は戦後に再建されたものですが、往時の姿が蘇ってむしろ追体験がはかどる。

 

島から眺める、雄大なラドガ湖の景観

秘密の家の裏庭を抜けた壁の向こうには、ヨーロッパ最大の湖ドガに面した浜辺があります。岩手県より一回り大きいくらいの湖。でかい。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

ドガ湖の水はネヴァ川を通ってサンクトペテルブルク市内を流れ、フィンランド湾へと流れ着きます。琵琶湖擁する滋賀県民と京都府民の関係性に似てますね。シュリッセリブルクの住民を怒らせラドガ湖の水を止められると、ペテルブルクっ子たちは手も足もでません。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

大きなタンカーも行き交い、今でもラドガ湖が交通の要衝であることがうかがえます。木陰もあり、清潔で気持ちの良い湖のほとり。浜辺に座ってサンドイッチを食べている夫婦もいました。天気の良い日はとてものどかです。ぼーっと過ごすのに最適。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

浜辺に自生しているクルミの木。オレシェク要塞島の元の名前であるオレホヴィ島(Island Orekhovy)は「クルミ島」という意味。貴重な栄養源として、ここで過ごした囚人や軍人たちの命を繋いできたのでしょうか。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

浜辺の先に映っているカラレフスカヤ塔の奥には、1884年から1906年の間にこの地で死刑となった、レーニンのお兄ちゃんを含む革命家たちが埋葬されている集団墓地があります。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

出典:https://anashina.com/krepost-oreshek-shlisselburg/

弟のレーニンは言わずと知れたソビエト建国の父で、モスクワの赤の広場に防腐処理された遺体が一般展示されているのに比べ、お兄ちゃんの遺体はこんな小さな島にひっそりと眠っています。長男って損しいだよね。でも、下手に偉人になって永遠に遺体を世間の目にさらされ続けるより、のどかな島で湖でも眺めながら仲間と一緒にいられるほうが、死後の人生としては幸せかもしれない。

 

ちなみに墓地の真裏は砦になっていて、戦時中に使用されたであろう砲台跡が残っています。頭上でドンパチやられて仏様もさぞ驚いたことでしょう。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

 

塔の中や壁の上も入れます、歩けます

カラレフスカヤ塔をはじめ、島内の建物内部にはいたるところに秘密基地のような通路や塹壕跡が数多く残されており、ダンジョン感が素晴らしい。今後老朽化が進めば立入禁止の箇所も増えてくるかもしれませんので、お早めに。

15世紀後半~16世紀前半に建てられたカラレフスカヤ塔の最下階にある、防護砲室の内部。スウェーデン領時代の1697年の再建を経て、現存のものは1980年代に再建。オレシェク要塞,シュリッセリブルク

15世紀後半~16世紀前半に建てられたフラジュナヤ塔(フラッグ=旗)。現存のものは19世紀後半に再建。

ドガ湖に面した壁とフラジュナヤ塔~ゴロフキナ塔間の壁上部分は通路になっており、追加料金を支払えば入場可能。湖や敷地内の全景を一望できて非常にオススメです。たしか100~150ルーブルぐらいだったと思う。壁の高さが10メートル弱あるので高所恐怖症の人はしんどいかもしれませんが、プチ『進撃の巨人ごっこが楽しめます。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

進撃の巨人,漫画,ロシア

サンクトペテルブルク中心部にある書店のコミックコーナーで売ってた。リヴァイの外伝まで揃っとるやんけ。諌山先生すごい。ロシア語しゃべる推しが見られるなんて…と思ったけど一冊1400円もしたので断念。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

要塞内の敷地全景。通行人のサイズ感からも、この島がいかにこじんまりしているかが分かる。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

ペトロクレポスチ湾を一望できるレストラン。写真に写っている湖面は、ラドガ湖全体の20分の1くらいの部分です。どれだけデカい湖なのか…。

 

島内にはレストランや売店もあります

探検しているとおなかが空いたので、壁をおりてレストランに向かいます。お店の前を通ったら店員のお兄さんが外で美味しそうなシャシリク(肉の串焼き)をバーベキューで焼いていたので、お昼にいただきました。

お肉は豚肉。ソースはチリソースっぽいちょっと甘辛めのやつで美味しかった。ロシアのシャシリクってどこで食べても美味しい。マリネにした肉を炭火で焼くから臭みがないし、お肉のうまみと香ばしさがすごい。酢漬けの野菜も付け合わせにぴったり。スライストマトは日本と違って全く甘くない野菜本来の味。

 

これで500ルーブルくらいじゃなかったかなあ。日本円で1000円しないくらい。そんなに高くなかった気がする。サンクトペテルブルク中心部との物価の違いよ…。

中国人観光客が多いらしく、英語と中国語のメニューもありました。店員のお兄さんはいろんな国の言葉を勉強するのが好きみたいで、いろんな国の挨拶を披露してくれた。すごい。コンニチワ~!はマスター済だったので「美味しい」を教えておいた。

 

建物自体も素朴な感じだしメニューもシンプルなものが多かったけど、こういうのでいいんだよこういうので。ちょうど中途半端な時間で店内もガラガラだったから、湖が見える特等席でのんびり紅茶を飲みました。

これでまた探検の続きができる! 

 

「人民の意志」メンバーを投獄するための「新刑務所」

 島内には2か所の展示施設があり、一つは先ほど訪れた「秘密の家」で、もう一つは1884年に建設されたこの「新刑務所」。「秘密の家」建設から約100年後、皇帝暗殺テロなどの革命運動を行う秘密結社「人民の意志」のメンバーを投獄するため1884年に建設されました。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

「人民の意志」メンバー40名を投獄するために建てられた新刑務所の外観。2階建ての建物には40の独房。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

独房の中はこんな感じ。さっき見た「秘密の家」の懲罰房みたいにシンプルですね。新刑務所が完成した後は、「秘密の家」は懲罰房や死刑執行前の拘置所として使われていたので、囚人たちがメインで過ごしていたのはこの新刑務所の独房でした。

 

投獄された囚人の多くは、20年近くこの島で過ごしたそうです。1884年1906年の間に投獄された政治犯68人のうち、15人が刑死・15人が病死・8人が発狂し3人が自殺。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

独房の窓。20年間この白い四角を見つめながら過ごしたのでしょうか。

 

この島に訪れた2019年7月当時は、まさか1年後に世界中が自宅軟禁を体験することになるとは思わなんだ。移動の自由。住居の快適性。人とのふれあい。全世界がステイホームの息苦しさを経験した今、もう一度この地に訪れれば、より濃厚に革命家たちの苦しさに思いをはせることができるかも。

 

島内で一番新しく、一番大きな刑務所「四号棟」

その後社会主義革命運動が活発になるにつれ囚人の数も増えたため、1911年、500人の囚人を収容可能な刑務所「四号棟」が建設されます。島内の刑務所は3棟しかありませんが、「秘密の家」は現役時代に1度建て直されているため、3番目に建てられた新刑務所に続き、4番目に建てられた刑務所棟という意味でこちらは「四号棟」となりました。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

こちら方向を向いている右側の棟が四号棟。画面右方向を向いている左側の棟は監視棟。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

四号棟の完成により、オレシェク要塞は全島で最大1000人を同時収容可能となりますが、このころになると政治犯のみならず政治思想の無い一般の凶悪犯も投獄されるようになったらしい。そうとう治安悪かったでしょうね。

 

政治犯ってそもそもインテリな知識階級人だから、共同生活を送るうえでのモラルとかはあったと思うんだよね。一般の凶悪犯たちが仲間入りしたことで、世紀末ヒャッハー的生活様式が幕を開けたことでしょう。

 

ここから見上げるだけだとフェンスもあって屋内の様子がよくわかりませんが、要塞の壁の内部には一部回廊が復元されている部分があるので、そこへ登れば四号棟の屋内を高い位置から観察できます。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

回廊への入り口。狭いし階段急だし手すりが片方にしかないので、降りてくる人を待とう。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

内階段の中はこんな感じ。階段の一段が小さいうえに若干高くて怖い。コロナ菌が不安でも手すりをしっかりつかみながら上り下りするべし。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

4号棟の建物はシルバニアファミリーのおうちみたいに南側ががっつり削げてるので、回廊の窓から、3階と同じ高さの目線で屋内を観察できます。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

建物は朽ち果て、床からは雑草が生え放題。まさに「つわものどもが夢の跡」状態。むき出しになった鉄骨やフロアの上り下りに使っていたであろう階段が生々しい。

 

壁が丸ごと削ぎ落とされているので、建物を構成するレンガの積み方とかまでよくわかります。さすが牢獄とあってかなり分厚い壁。イギリス積みっぽくも見えるけどフランス積みかな…?教えて、レンガ積みに自信ニキ!

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

独房の一室をズーム撮影。なんか白いホーロー鍋みたいな残置物が机の上に…あれでスープとか飲んだのかな。

 

1917年のロシア革命と同時に島内の囚人たちも全員釈放され、「元囚人」となった人たち自身の手で建物は焼き払われます。その後、第二次世界大戦時にドイツ軍からの爆撃によりさらに損傷。歴史の怨嗟と殺意がこもった素晴らしい廃墟っぷり。

 

四号棟の南側だけ壁が削げているのは、たぶん第二次世界大戦時、川を挟んで南側にあるシュリッセリブルク市街地側からドイツ軍が爆撃してきたからだと思う。すさまじい爆撃跡ですが、そのおかげで屋内の様子をじっくり観察できます。今いる回廊も同じく損壊しましたが、こちらは戦後に復元されているので立ち入っても安全。

 

要塞壁の回廊を端から端まで歩いてみる

ちなみに回廊の内観はこんな感じ。ところどころレンガの色が異なるので、部分によって復元時期が異なるのだと思います。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

ゴスダレバ塔とゴロビナ塔をつなぐ回廊。中央に映っている黒いドアは、さっきの階段からの入り口。左側には要塞内を見渡せる大きな窓穴、右側には要塞外への砲撃用の小さな窓穴(狭間)が開いています。

 

要塞の外からみた回廊壁の外観はこんな感じ。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

真ん中に映っている丸い塔がゴロビナ塔で、左手奥に見える塔がゴスダレバ塔。回廊は、ゴロビナ塔から左右に生えている両翼の壁の内部。この真裏に四号棟があります。

 

今では回廊が復元されている部分は写真に写っている部分しかないけど、かつてこの城壁が最初に建設された16世紀には、要塞の壁は一周すべてが回廊になっていて、塔と塔を接続していました。

 

全長740メートル、高さ12メートル、壁の厚さ4.5メートル。無垢の巨人が襲来してもなんとかなりそう。各塔をつなぐ回廊は、戦闘時に兵士が要塞内を素早く移動できるように設けられたもの。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

回廊と連結しているゴスダレバ塔内部への入り口。冒険心をくすぐる重厚な見た目の扉がすばらしい。映画のセットみたい。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

回廊の砲撃用の窓穴(狭間)からみた要塞外の景色。ネヴァ川を挟んで、シュリッセリブルク市街地が見えます。第二次世界大戦時にここで武器を構え、向こう岸からくるドイツ軍の爆撃と戦ったソビエト軍たちも見た景色。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

回廊の端っこに、鉄柵の昇降機を発見。この下の階には船着き場から要塞内への入場門があって、この昇降機で鉄柵を上げ下げして、門を開閉します。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

この鉄柵が上下に昇降します。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

奥に写っている鉄格子は、さっきとは反対側の回廊の端っこ。そこから先は修復されていないので、入れる部分は全長約200メートルくらいだった。兵士になった気分で、回廊を全力ダッシュ

 

しかし回廊の内部の壁の色が全然違う。どうせ修復するなら色を揃えたらよかったのにテキトーすぎるだろと思うけど、ゴスダレバ塔が修復されたのが1983年とかだからそれくらいの時期かも。まだまだソ連崩壊前だったので、テキトーだったのかなあ。

 

ちなみに16世紀ごろの要塞壁は、いろんな色合いの石灰岩でできていて、一番古い石積みは茶色がかった紫色で、後から積まれた石積みは青みがかった灰色をしていたらしい。シュリッセリブルクから東へ100km先のヴォルホフ川の採石場から運んできたものだそう。その部分はどこの壁で見られるんだろう。もっとしっかり探せばよかった…orz

 

激戦の歴史を700年見守り続けたオレシェク要塞

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

1702年、スウェーデンからオレシェク要塞を奪還する際に亡くなった兵士たちの集団墓地。正確な犠牲者数は不明ですが、約300~600名と伝えられています。

 

島の面積が200×300メートルくらいのこじんまりとした小さな観光地ですが、意外と見どころはたくさんあるので、ツアーガイド無しで3時間ほど滞在しても飽きませんでした。

 

オレシェク要塞は1323年に古代ロシアの王様ユーリ・ダニロヴィチがオレホヴィ島に木造要塞を建築したのが始まり。日本は鎌倉時代後醍醐天皇が即位したくらいのころです。オレホヴィ島自体も、初期ノブゴロド年代記にも言及されていたので1228年には存在を認知されていた古くからある島。1410年頃には兵士だけでなく農民や漁師、商人たちも住んでいました。

 

創建からおよそ700年、タタールのくびきや北方戦争ロシア革命や世界大戦など、ロシア国内では数々の激戦が繰り広げられてきましたが、オレシェク要塞はロシア北西部の国防の砦として、国を守る英雄たちが活躍した激闘の舞台でした。

 

ただ、今回参考にした資料はすべてロシア側の立場から記述されたものなので、スウェーデンやドイツ側の立場から記述された資料も、ぜひ見てみたいですね。双方の国の言い分を比べっこすると楽しそう。

 

 

 

かつて長い歴史の中で、たくさんの人たちがこの島で過ごしていて、ここから見える景色をいろんな思いで眺めていて…それと同じ景色を現地で見て体験するのって、やっぱり感動しますね。特にオレシェク要塞みたいに歴史もドラマもある、いろんな情念がこもってそうな場所では。

 

画像だけネットで検索して、原っぱも廃墟も湖もあってピクニックしたら楽しそう♡とよく知らないまま現地に行きましたが、もっといろいろ調べてから行けばよかった…。今から行かれる方はぜひ、軽く情報収集した上で遊びに行ってみてください。まあ、予備知識ゼロでぼ~っと散歩しても楽しめちゃうくらい、観光地として素晴らしいのは紛れもない事実です。

 

 参考文献:

『КРЕПОСТЬ ОРЕШЕК』(公式ガイドブック)

Государственный музей истории Санкт-Петербурга

『ORESHEK FORTRESS TOURIST MAP』(公式パンフレット)

Государственный музей истории Санкт-Петербурга

オレシェク要塞公式サイト:

https://www.spbmuseum.ru/themuseum/museum_complex/oreshek_fortress/?lang_ui=en

『Достопримечательности Куда сходить, что посмотреть』:

https://dostop.ru/leningradskaya-oblast/krepost-oreshek.html
『ИСТОРИЯ И ПУТЕШЕСТВИЯ』:

https://anashina.com/krepost-oreshek-shlisselburg/

Wikipedia「アレクサンドル・ウリヤノフ」:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%8E%E3%83%95

 

 

Naru Marina

 

※出典の無い画像はすべて筆者撮影・作成

【ロシアの軍艦島】サンクトペテルブルク郊外・シュリッセリブルクのオレシェク要塞でピクニックしてみた・前編【要塞島のち牢獄島】

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

出典:https://starbeak.livejournal.com/101433.html


2019年7月、サンクトペテルブルク市内からバスで40分+船で10分くらいの場所にある、シュリッセリブルクのオレシェク要塞という離島に行ったのでレポートします。

 

オレシェク要塞とは 

日本でいう軍艦島のような、廃墟となった建物を当時の姿のまま見学できる要塞島で、小石川後楽園にすっぽり入るくらいの、20分ほどで一周ぐるりと歩ける小さな島です。

 

ただ日本の軍艦島とは異なり、オレシェク要塞は14世紀の古代ロシア時代よりスウェーデンとのバチバチの領土争いを繰り広げてきた舞台で、帝政ロシア時代、19世紀の終わりごろに要塞としての使い道がなくなると、王政転覆を狙う革命組織をぶち込むための牢獄として再利用されるという、ガチ軍事要塞です。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

ロシア革命と同時に刑務所の囚人は全員釈放され、島は博物館として生まれ変わったものの、第二次世界大戦時にはまたもやドイツ軍との激戦の舞台となり、島の建造物は激しく損壊してしまいました。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

現在は一般公開されており、生々しい戦火の爪痕を間近で見学することができます。事前予約も不要なので、観光スケジュールが半日空いたな~なんて時の穴埋めにもおすすめ。境遇を含めロマンしかない激エモスポットなので、廃墟・歴史・城郭・ミリタリーがお好きな方が訪れても楽しめると思います。コスプレイヤーさんとかここで写真撮ったら超素敵だと思う。

 

サンクトペテルブルクの要塞島といえばクロンシュタット要塞や、ペスト実験で知られるアレクサンダー要塞が有名ですが、いずれも1700年~1800年代に建てられた近代建築要塞なので、2023年に創建700年を迎えるオレシェク要塞はぶっちぎりで歴史が古いです。

 

古ノブゴロド時代から始まり第二次世界大戦にいたるまでの、グラデーションに富んだ戦いの歴史ロマンを感じに、ふつうのサンクトペテルブルク観光とは一味違った小旅行をしてみましょう!

 

寒い時期はネヴァ川が凍っちゃうので、オレシェク要塞の公開期間は毎年5月~10月の期間のみ。冬のサンクトペテルブルク旅行では体験できない観光地なので、もしこの期間に訪れる予定がある方は、オレシェク要塞へもぜひ足を運んでみてください。

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営業時間:
5/1~10/31の期間、毎日営業。

平日10:00~18:00・土日祝日10:00~19:00。

※10/1~31の期間は平日10:00~17:00・土日祝日10:00~18:00。

入場料:
大人1人250ルーブル
※ボート代の往復300ルーブルが別途必要。

オレシェク要塞 公式サイト:

https://www.spbmuseum.ru/themuseum/museum_complex/oreshek_fortress/shema_ore.php

ボート運航会社 公式サイト:

https://xn-----6kcabjtaga9c5apecoci7m.xn--p1ai/

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島内を散策した記事は後編をどうぞ。

 

サンクトペテルブルク市内からオレシェク要塞への行き方

オレシェク要塞は離島なので、ボートで渡るしかありません。公式サイトを見ると、ネヴァ川挟んで南側のシュリッセリブルク桟橋と、ネヴァ川挟んで北側のモロゾフ村桟橋の2か所からボートが出ているらしいんだけど、Gip Tripのサイトを見るとシュリッセリブルク桟橋からのほうが定期便がたくさん出ていてオススメらしいです。

Gip Trip:

https://giptrip.com/article/krepost-oreshek/

また、サンクトペテルブルク市内からシュリッセリブルク桟橋まで行くバスも、ウーリッツァ・ディベンカ駅(Улица Дыбенко)発着の575系統と、ルイバツコエ駅(Рыбацкое)発着の440系統の2か所から出ているらしいんだけど、575系統は15~20分間隔、440系統は30~45分間隔で運行しているようなので、ウーリッツァ・ディベンカ駅(Улица Дыбенко)発着の575系統で行くことにしました。

Городские маршруты:

575系統

https://www.24tr.ru/spb/route/1680/

440系統

https://www.24tr.ru/spb/route/1609/

 

私はゴスチニー・ドヴォール駅(Gostiny Dvor/Гостиный двор)のすぐそばのホテルに滞在していたので、地下鉄でウーリッツァ・ディベンカ駅(Ulitsa Dybenko/Улица Дыбенко)まで行き、そこからバスでシュリッセリブルク桟橋まで行き、そこからボートでオレシェク要塞まで行く、というルートにしました。

 

①地下鉄で、ゴスチニー・ドヴォール駅(Gostiny Dvor/Гостиный двор)からウーリッツァ・ディベンカ駅(Ulitsa Dybenko/Улица Дыбенко)

ゴスチニー・ドヴォール駅(Gostiny Dvor/Гостиный двор)で地下鉄3号線「ネフスコ-ヴァシレオストロフスカヤ線(Nevsko-Vasileostrovskaya/Невско-Василеостровская)」に乗車。

 乗車時間6分。

プロシャジ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ駅(Ploshchad Alexandra Nevskogo-1/Площадь Александра Невского 1)で降車し、地下鉄4号線「プラボベレズナヤ線(Pravoberezhnaya/Правобережная)」のプロシャジ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ駅(Ploshchad Alexandra Nevskogo-2/Площадь Александра Невского 2)から乗車。3号線ホームから4号線ホームへの乗り換え時間3分。

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地下鉄3号線のプロシャジ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ1駅(Ploshchad Alexandra Nevskogo-1/Площадь Александра Невского 1)のホーム。看板に地下鉄4号線への乗り換え案内が書いてある!

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地下鉄4号線のプロシャジ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ2駅(Ploshchad Alexandra Nevskogo-2/Площадь Александра Невского 2)のホームの案内板。

 乗車時間12分。

ウーリッツァ・ディベンカ駅(Ulitsa Dybenko/Улица Дыбенко)で降車。

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ちなみにサンクトペテルブルクやモスクワの地下鉄は、早朝から深夜まで数分間隔で運行してるので、時刻表とか調べなくても大丈夫です。路線ごとに色分けしてあるし、路線名や駅名も英語表記があります!東京で地下鉄に乗るときと同じ感覚で使えちゃうなんて、そうとう便利。

 

しかもこれで片道運賃がどこまで乗っても55ルーブル(≒82円)。運賃も為替レートも2020年5月現在。都バスと同じで、1駅だろうと終点まで行こうと同一価格スタイル。旧共産圏すごい。交通費安い。

 

ちなみに乗り換え駅のプロシャジ・アレクサンドラ・ネフスカヴァ駅から徒歩3分の「アレクサンドル・ネフスキー修道院」には、ドストエフスキーチャイコフスキーの墓地があるので、マイラーの皆様にもぜひおすすめ。ここ行きたかったなあ…今回行きそびれたので次は絶対行く。

 

②バスで、ウーリッツァ・ディベンカ駅(Ulitsa Dybenko/Улица Дыбенко)からシュリッセリブルク(Shlisselburg/Шлиссельбург)

ウーリッツァ・ディベンカ駅の駅舎から外に出てバス乗り場を探すも、これが結構わかりづらい。駅舎を出ると目の前にこんな感じの広場があります。

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 ここからちょうど左後ろを向くと、シュリッセリブルク(Шлиссельбург)行きのバス停が見えます。

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 地図上だとこのへん。★マークが撮影場所で、〇で囲っているのがバス停。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

Google mapのスクショ画像を載せようと思ったけどGoogle先生が怖いので自作。わかりづらくてごめん。Google mapで「Ulitsa Dybenko Station」で検索すればヒットするので脳内補完をお願いします。

 

あった!このバス停だ!

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バス停の看板にも、バスの行先表示にも、「シュリッセリブルク(Шлиссельбург)」、「575」系統の文字が。シュリッセリブルクとウーリッツァ・ディベンカ駅を往復しているバスなので、帰りもこのバスに乗って帰ってくればOK。

 

ちなみに英語表記はないので注意。ロシアの中でも、モスクワとサンクトペテルブルクってめちゃめちゃ英語が通じる都市なのですが、ちょっと郊外に出たとたんに英語表記や英語話者が少なくなります

なので、バス停の位置が分からなくなった場合は、「シュリッセリブルク!クレポスチ・オレシェク!(ロシア語で「オレシェク要塞」)」と聞けばバス停まで連れて行ってくれるはず。

 

日本での知名度は低いけど、現地ではオレシェク要塞はそれなりに知名度の高い観光地なので、「あ~はいはいオレシェク要塞ね、シュリッセリブルクの。」って感じですぐにバス停に案内してもらえました。

 

始発7:00~終電23:30、15~20分に1本の間隔で運行。確かにバス停に着くとすぐ乗れました。運賃は忘れちゃったけど、確かオレシェク要塞の公式サイトにも書いてある片道70ルーブルだった気がする。2020年5月の為替レートでおよそ105円。36kmも距離あるのに。東名高速で東京から厚木までが35kmって考えると移動距離に対するコスパ良すぎ。

 

所要時間は、ウェブサイトだと片道最大110分って書いてあるけど、私が乗った時は平日の昼間で道が空いてて、行きも帰りも片道40分程度でした。ロシアは交通渋滞が多いので、道が混む時間帯に渋滞に巻き込まれると最大2時間弱くらいかかるのかもしれません。東名高速と同じだね。

Городские маршруты:

575系統

https://www.24tr.ru/spb/route/1680/

オレシェク要塞 公式サイト:

https://www.spbmuseum.ru/themuseum/museum_complex/oreshek_fortress/shema_ore.php

 

シュリッセリブルクは終点なので、乗り過ごす心配もなく安心♪

ただ、私が乗った時は乗客も少なく身の危険は感じませんでしたが、ロシアは公共交通機関でのスリがめちゃめちゃ多いらしいので、移動中の居眠りはあまりオススメしません。眠くなったら、地下鉄では味わうことのできない車窓からの風景を楽しみましょう。

 

日本ではほぼ見かけないロシア車「ラーダ」や、日本の団地をさらに密集&巨大化させたような集合住宅「フルシチョフカ」など、車オタク・団地マニアにはたまりません。ペテルブルク市内の中心部とは町の雰囲気がガラッと変わります。


そうこうしているうちに、シュリッセリブルクのバス停に到着。「え?ここ?」って思うような道端で降ろされますが、数分歩けばボート発着場所の桟橋へ到着します。

オレシェク要塞,シュリッセリブルク

これもGoogle先生が怖(以下略。でもこの地図はYandex mapをベースに作成。Google先生アメリカ企業なので、ロシアに関する情報はYandex先生のほうがやっぱり詳しい。Google mapにはないバス停の位置まで分かって便利。Yandex mapに「Sobor Blagoveshcheniya Presvyatoy Bogoroditsy shlisselburg」で検索すれば上記エリアのカザン礼拝堂のあたりがヒットします。

 

バスを降りると、左手にピンクの礼拝堂、「カザン礼拝堂」が見えてきます。むっちゃかわいい。でも写真撮り忘れた。

出典:File:192. Шлиссельбург. Казанская часовня, 1864 г.JPG - Wikimedia Commons


そのままカザン礼拝堂を通り過ぎると、大きな交差点があるので、横断歩道を渡り直進します。

 

ロシアでは、信号のない横断歩道では歩行者優先なので、ほぼ必ず車が止まり道を譲ってくれます。日本みたいに車が通り過ぎるのを待っていたら、ドライバーに「お前何ぼーっと突っ立ってんだ」みたいな不思議そうな顔をされたので、車が止まってくれたら速やかに横断しましょう。

 

以前、割と広めな横断歩道がない道路をダッシュで横切ったところ、ウィンドウ全開にしてマジギレされました。そりゃそうだ。ほんとごめん。大通りは地下通路が多くて横断歩道が少ないのですが、どんなに急いでいても決められた場所を歩くと決心。

 

少し歩くとすぐに、川にかかる橋が見えてきますので渡ります。看板にもロシア語で「オレシェク要塞」の文字が…!

橋を渡りきると、目の前にスーパーマーケット「ジクシ」(Дикси)が見えますので、左折します。

直進すると右手に大きい駐車場が見えてくるので、さらにそこも通り過ぎると、一番奥のつきあたりにピョートル1世の銅像が建っている小さい公園が見えてきます。そこが船着き場!

 

ついた!青いボックスがボートのチケット売り場です。

振り返ると、ピョートル1世の銅像。ピョートル1世は1702年にスウェーデンからオレシェク要塞を奪還した人。つよそう。

写真の奥に映っているスーパーマーケットの屋内にキレイな有料トイレがあるので、チケット売り場横の怖~い有料公衆トイレを使わなくても大丈夫。

 

③ボートで、シュリッセリブルク(Shlisselburg/Шлиссельбург)からオレシェク要塞(Oreshek Fortress/Крепость Орешек)

チケット売り場で乗船チケット券を購入。英語表記が無いのでYandex先生に翻訳してもらう。

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フェリーチケットの費用(往復)

運行間隔20~30分

大人 300ルーブル

学生 200ルーブル

退職者 200ルーブル

生徒 150ルーブル

7歳未満 無料

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博物館(オレシェク要塞)行きの最終便

 平日:17時

 土日祝日:18時

博物館(オレシェク要塞)からの最終便

 平日:18時

 土日祝日:19時

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これと言って時刻表も見当たらないし、便を逃すとまた30分待ちぼうけなので、チケットを購入しゲートの近くで出航を待っていたところ、乗客が並び始めたので私も並びました。

 

するとゲート係員のお姉さんが私を見るなり引き止めました。

お姉さん「Группа?!」

「(ぐるっぱ…?グループ客かどうかって意味か…?)No」

お姉さん「(ならば貴様は後回しだ。団体客の乗船が終わり次第、空席があれば乗船できる。横で待っていなさい。)」←みたいな意味であろうロシア語&ジェスチャー

「OK」

 

そうです。あとから並びに来た人たちは団体客だったので、優先的に乗船する権利があったようです。アジア系なんて私ぐらいしかいなかったからすぐバレた。

そして見るからに外人でロシア語話せなさそうな私相手にも、普通にロシア語で話してきます。英語で説明なんておもてなし、サンクトペテルブルク郊外では期待してはいけません。そもそもロシアでロシア語を話せないほうが悪いよね。でもロシア人って不器用だけど、みんな親切で優しい。大好き。

 

団体客が乗船後、無事私もボートに乗ることができました。ボートといってもそんなに小さな船ではなく、2階建てで50~80人くらいは乗れるんじゃないかな?ボートの外観はこんな感じ。↓

ボート運航会社 公式サイト:

Режим работы Крепости Орешек - Переправа в Крепость Орешек

 

出航後、10分弱で島に到着します。いよいよオレシェク要塞へ上陸!島内の様子は後編に掲載していますので、そちらもぜひご参照ください。

 

 

体験記は2019年7月時点のものなので、コロナ禍中やそれ以降、営業時間や運行便数の変更・運休があるやもしれません。そもそも渡航中止勧告が出てるから、しばらくみんな海外旅行なんてしないだろうけど。

コロナが収束して世界が日常を取り戻し、問題なく海外旅行ができるようになったら、各施設のウェブサイトで最新情報をご参照いただき、ぜひ訪れてみてください!

日本から行くのは無理でも、サンクトペテルブルク在住の方で近場のレジャーが解禁されたときにもおすすめ。

 

Naru Marina

 

※出典の無い画像はすべて筆者撮影・作成

【公式ビザセンターInterlink Service】普段自力でロシア大使館に行ってビザ取ってる個人旅行者がロシア公式ビザセンターを使ってみた話【無事ビザ取得】

【7/2追記】無事、下記の方法で問題なくビザ取得できました。

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2019年5月より、ロシア大使館の領事部・ビザ申請窓口が完全予約制になり、ロシアの公式ビザセンターInterlink Serviceという団体が登場しました。

 

Interlink Service 公式HP: https://interlinkservice.world/japan/jp

 

2019年7月中旬に2週間ほどサンクトペテルブルクに旅行することになり、最近やむをえない事情でこの団体を利用したのですが、結論から行ってとても誠実な公的団体だったのでレポートします。

 

 

 

 

私はいつも自分で大使館に出向いて申請しているのですが、これまでは予約という選択肢はなく、朝早く行って順番待ちするという極めて非効率的かつ平等な「早い者勝ち」方式でした。

 

なので、私のように平日の朝に都合がつく人間にとっては、だいたい渡航予定日の遅くとも3週間前くらいに動き始めれば、手数料無料で2週間後にはビザを取得でき、渡航日までに1週間ほど余裕を持ってパスポートを入手できる、という流れでした。

 

 

7/9に渡航予定だったので、そろそろ申請書を発行するか…と大使館HPにアクセスしたのが渡航26日前の6/13。すると事前予約をしていないロシア大使館への訪問者は受け入れないとのこと。

 

これ、てっきりビザ以外に用事がある人たちのことを指しているのかと思いきや、ビザ申請者も対象でした。警備上の理由なのかな?

 

 

そこで領事部のアポイントメント予約可能日を夜中の2時くらいにカレンダーで確認したところ…

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6月の予約可能な白い日がもう1個もない!しかも7月以降のカレンダーは確認できない!

 

 

仕方なく、待機リストに入ります。

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これ、空きが出たらメールをくれたりするシステムではなく、自分でちょくちょくサイトを訪れ、空きが無いかを確認しなければいけない方式。時間をおいて何回確認しても、枠が空いていない…。

 

(てことは、運よく最短でも7/1以降に申請?手数料めっちゃ取られるじゃん!最悪7月も予約でいっぱいだったらもうビザ間に合わないじゃん…もうこの公式ビザセンターを通じてじゃないと一般人はビザ申請ができないようになったんだな…大使館と癒着した手数料ビジネスなのか…)

 

飛行機のチケットをすでに取っていたので、目の前が真っ暗になりました…。

 

 

やむを得ず、公式ビザセンターへの訪問予約を入れます。すると一番早くて4日後6/17 9:15~の枠が空いていたので、すがる思いで予約をいれます。でもあくまで大使館ではなく公式ビザセンターの訪問予約なので、まだ安心はできません。ここから公式ビザセンターの人も初めて大使館の予約を取り始めるのかな…?

 

 

翌日6/14のお昼ごろ、もう一度大使館の予約カレンダーを見てみると、なんと6/21と6/26以降の日付が白くなっていて、予約可能になっているではありませんか

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6/21は予定があったので、迷わず6/26 9:51~に予約を入れます。予約の枠が分刻みなのがすごい。超合理的。ロシアっぽい。3分以上は割かないぞという強い意志を感じる。

 

でも、6/26に申請したとして、7/9の渡航日に間に合わせるには…

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ロシア大使館公式サイト: https://tokyo.mid.ru/web/tokyo-ja/-13

 

・3営業日以内10000円コースだと7/1には受け取れる。でも高い…

・4~5営業日4000円コースだと7/3には受け取れる。でも6~10営業日コースと値段が同じってことは、窓口の混雑状況次第で最悪10営業日になる可能性もありなのか??てことは7/10受け取りでアウト…

 

 

…みたいな脳内会議が繰り広げられ、結局、この際大使館手数料とは別に代行手数料取られてでも、渡航一週間前くらいには受け取れるようにすることを決意。万が一記載ミスなどで申請やり直しになっても、リベンジできるように日数に余裕を持って備えます。

 

とにかく一番早く大使館へ申請ができることを最優先に考え、公式ビザセンターと大使館、両方のアポイントメントをキープしつつ、先に公式ビザセンターに行って相談してみることにしました。

 

サイトの感じがどう見ても怪しいし、その割にはロシア大使館の公式HPにも掲載されててズブズブオフィシャル感あるし…

 

日ごろ大使館系の日露交流に携わっている知人に聞いたところ、大使館が主導で作ったビザ取得のサポートを行う部署で、仕事が大変だから有料(4000円くらい)で業務を行っているロシア人運営の団体、とのこと。

 

確かに表向きは、ビザ取得の合理化という建前を掲げてはいるようですが…どんな因縁をふっかけられてお金をぼったくられるか分からないし、お金を取られるだけ取られた挙句ろくに相談もさせてももらえない可能性もあるので、サポート等はあてにせず淡々と受理されるよう、普段自分で申請する際に持参する書類をすべて完璧に用意していきました

 

・パスポート

・大使館のビザ電子申請書の出力

・バウチャーの出力

・裏にパスポートNoを書いた証明写真2枚

・航空券の予約確認書の出力

・ホテルの予約確認書の出力

海外旅行保険証書の出力

 

大使館のビザ電子申請書類の申請先欄も、入力時に公式ビザセンターを選択して申請・出力。やっぱり自分で大使館に出向いたほうがよいと思ったらこの申請用紙は破棄し、再度、大使館を選びなおして再申請する作戦。

 

 

気もそぞろな土日を過ごした後、溜池山王にある公式ビザセンターに向かいます。銀座線溜池山王駅9番出口から徒歩5分程度の便利な立地にあり、普通のオフィスビルの1室にあります。大使館の、あの人を寄せ付けない雰囲気の鉄格子とは大違いです…。

 

 

表通りからみるとこんな感じ。フレンド薬局と溜池眼科医院に挟まれた入口から入り、赤坂アビタシオンビルの7階です。

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裏通りから見るとこんな感じ。茶色いビル。裏口からも入れます。正式名称は、「Interlink Japan合同会社」のようです。

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エレベーターに乗り、7Fへ。9:15のアポイントに間に合うよう、念には念を入れて8:55に7Fへ到着したのですが、すでに3名ほど並んでいました。みんなさすが…

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9時オープンと看板には書いてありますが、われわれが並んでいる横を2名ほどのロシア人スタッフが出社していきました。割とオープン直前の駆け込み出社(笑)。ロシア人にしてはまじめ?!9:05ごろに、オフィスの中へ通されました。

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中に入ると、銀行窓口のようなカウンターが並んでおり、ロシア人女性スタッフ3名が並んで座っていました。左から、テキパキしてそうな30代くらいのスタッフ、仕事がデキそうな30代くらいのスタッフ、新人さんっぽい感じの20代くらいのスタッフ。誰に当たるのかな…ドキドキ。

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まずは9:00から予約を取っていた2名が先にカウンターへ。もう1人も私と同じ9:15からの予約だったので、待合席に腰掛け、順番を待ちます。待合席がカウンターの目の前なので、大使館のように表示番号を見逃し、順番を逃すこともありません。

 

 

そうこうしているうちに、順番が回ってきました。私の担当は一番左のテキパキお姉さん。やった!

 

「シングルの観光ビザを1名分、お願いしたいのですが…実は私、6/26に個人で大使館のアポイントメントも取っているのですが、もしそれより早くビザを申請できるのであれば、御社にお願いしようと思っていまして…今日こちらでお願いすれば、何日後に受け取れますか??普段自分で申請しているのですが、大使館の予約が一番早くて6/26しか取れなくて…」

 

テキパキお姉さんスタッフ「弊社に依頼される場合、大使館に通常支払う窓口料金とは別に手数料として4500円かかります。ビザ受け取り希望日はいつですか?」

 

「7/9が渡航日なので、念のため7/2か7/3には受け取っておきたいのですが…」

 

スタッフ「本日6/17にこちらで申請いただければ、7/2の午後からお受け取りいただけます。11営業日以降の受け取りですので大使館の窓口料金は無料で、私共への代行手数料4500円のみしかかかりません。」

 

 

(え?!ここで提出した翌日には大使館申請できるの?!やっぱ一般向けの予約枠とは別にルートを持ってるんだな…さすが公式…。)

 

 

「あ、それは助かります!ぜひお願いします!」

 

スタッフ「では申請書類を確認させていただきます。」

 

1枚1枚すみやかに、しかし正確にチェックをしていくスタッフ。

 

スタッフ「確認いたしましたので、こちらで処理させていただきます。しかしながら、あくまでビザの許可が下りるかどうかの判断は大使館の特権事項ですので、ご了承ください。少なくとも、今見た限り書類上の不備等は見受けられませんでしたが…」

 

(なるほど。あくまで大使館員ではなく、サポート団体のスタッフだからね。そりゃそうだ。)

 

「承知しました。」

 

 

近年、証明写真の基準が厳しくなっているとの記載を旅行会社のHP(http://www1.gyb.co.jp/pdf/russia_visa.pdf)で見たため、もし不可の場合は近所で撮影しなおせるよう、持参した証明写真を念のため申請書に貼らずに持っていきましたが、特に問題はなかったので、糊を借りてその場で申請書に貼り付けました。

 

スタッフが写真の顔の寸法を定規で測ったりなどは特にはしていませんでしたので、念のため事前に自分で寸法を測って、3.4~3.7cmをキープしている写真を用意しておくと安心かと思います。糊がとれた場合も考慮し、証明写真の裏にボールペンでパスポート番号も記入しておきました。

 

バウチャーに関しても、ロシアや日本の大手旅行会社に発行してもらうものではなく、空バウチャーという自分でネット上のフォームに入力し1500円くらいで発行してもらえるタイプのものだったのですが、問題なく受理されました。飛行機やホテルの予約確認書についてもノーチェックでした。

 

※空バウチャーについては、こちらのサイト様で最新情報の手順を丁寧に紹介されており、自己責任のもと、大いに参考にさせていただきました。KamiRa様、ありがとうございます!

↓↓

Eriane ver 0.8.3

https://nakoruru.jp/?p=2903

 

 

受け取りは大使館窓口ではなく、申請カウンター後ろのパスポート受け取りカウンターで受け取りができ、もしスタッフがいなかったらご遠慮なく申請カウンターのスタッフまでお声がけいただいて結構です、とのこと。親切…。

 

 

その他、郵送でパスポートを返送してくれるサービスが¥2000、SMSで受け取り可能の通知をくれるサービスが¥200だったので、SMS通知だけオプションをつけて、その日は¥4700をその場で支払って帰りました。現金払いとカード払いが選べたので、現金で払いました。

 

無事申請が受理されたので、別途予約を入れていた6/26の大使館のほうのアポイントメントはすみやかにキャンセル。キャンセル待ちの人が待っていると思うので。

 

 

 

それにしても、私、日本人が経営している民間のロシアビザ代行業者って利用したことがないからあんまりよく分からないんだけど、公式ビザセンターってかなり良心的な価格の部類に入るのでは…?大使館と違って、スタッフが笑顔で対応してくれる時点で軽く衝撃を受けたのですが…(笑)。

 

追加料金をふんだくってやろうとか、お金さえもらえばあとはテキトー、みたいな利益を追求するような印象は全くなかったです。本当に彼女たちの純粋な人件費なんだと思う。淡々と着実に業務をこなす感じ。手数料ビジネスとか疑ってごめん…。

 

 

もちろん、旅行までの日数に余裕があって、大使館の予約枠を自分で取れる場合は、自分で申請するのが一番安く、確実。ただ、私のように初動準備が遅れて大使館の訪問予約枠が取れなかった場合などは、一般とは異なるルートで大使館予約枠を持っている公式ビザセンターは、十分選択肢になりえるのかなと。

 

ただ、日本人が経営するビザ代行業者と違って全員ロシア人スタッフなので、もちろんみなさん日本語がすっごくお上手なのだけれど、複雑な事情を説明したり交渉したりする必要がある場合には若干不安感があるなというのが正直な印象です。それでもかなり親切だし日本語通じるけど…。

 

その場合は、少々お金を積んででも日本人スタッフのいる民間の代行業者に相談するのが安心かと思います。やっぱり老舗の代行業者とかって慣れてらっしゃると思うので…。

 

 

ただ、民間の旅行会社や代行業者も、大使館が団体申請を受け付けなくなって大変らしく、どこも軒並み料金が上がっている、との噂もあり悩ましいところです。公式ビザセンターのように一般とは別ルートの大使館予約枠を持っていない業者の場合は、むしろ公式ビザセンターに依頼したほうが、最も早く大使館へ申請ができるのかもしれません。予算・日数・個別の事情によって吟味されることをおすすめします。

 

もし私も万が一、記載ミスとかで7/2に無事ビザを入手できなかったら、腹をくくって相談に行こうと思います(涙)。お金ないけど…。

 

 

 

ロシアってほんと、何の前触れもなく急に制度が変わる上、救済措置っていう概念がないものだから、ダメなものはダメ、取りつく島もないイメージ。

 

初めて個人でビザ申請に行ったときも、ネットで情報発信されている方のアドバイスをたくさん参考にさせていただきました。

 

時期によって、訪問予約の取りやすさや手数料、スタッフのテンション(笑)など変動があるかもしれませんが、公式ビザセンターに関する体験記はまだまだ少ないので、自己責任の範囲にはなってしまいますが、この記事が一人でも多くのロシア渡航者のお役に立てれば幸いです。

 

とは言え、ここまでは一見順調に見えますが、どんなどんでん返しが待っているか分からないのがロシアなので…。

査証完了後、ビザが無事に取得できたら、引き続きレポートします!

 

Naru Marina